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とうふのかど

adimai.exblog.jp

1月17日

その時、新大阪の彼女のマンションにいた。
明け方、突然ドンという揺れで目を覚ました。
何が起こったのか理解できず、とにかく彼女をかばおうとした。
しばらくして、揺れがおさまった。
状況を把握しようとして、スイッチを押すが電気はつかなかった。
傾いている食器棚の脇をすり抜け玄関の扉を開けるが、
その時は、何もわからなかった。

すこしウトウトとした後、TVをつけた。
そこで初めて地震だったと理解した。
高速道路の料金所が倒壊している映像が映っていた。
TV局もまだ、把握できていなかった。

仕事に行くために、駅のホームへ向かった。
ビルの廻りにガラスが散らばっている。
コンクリートブロックの塀や墓石が倒れている。

電車は動いていなかった。

一度、部屋に戻りTVをみた。
少しずつ被害状況が、報道されてきた。
交通情報を確認しながらずっと見ていた。
その時は、会社にも電話が通じた。

京阪電車が動き出すという情報があったので、淀屋橋まで歩いた。
結局左京区の会社に着いたのは、14時位だったと思う。

その時もまだ何も分かっていなかった。


数週間後、神戸へ3回行った。
2回は、建築物応急危険度判定のボランティアに。
1回は、事務所が設計に関わった建物の状況を確かめに。

実際を自分の目で見て、
被災された人々と話をして、
建築を仕事として携わるものとして、
人として、
ショックだった。


彼女はその直後、非常持ち出し袋を用意した。

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カメラを持っていたのだが、
その場所ではシャッターを押すことができなかった。
震災直後に購入。
まだ表紙には、「死者・不明4000人」と状況が把握できていない。
この本は、あの時の思いと一緒に大切にしている。

16年、その間に彼女は妻となったが非常持ち出し袋はない。
by ad-imai | 2011-01-17 05:46 | 建築
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